Pamojaで働くお母さんの紹介

Pamojaで働くお母さんの紹介

Pamoja na Africaの三関理沙です。今日は、一緒に働くお母さんの紹介をします。

キャソリンさん(37歳)(仮名)の紹介

彼女は、Pamoja na Africaの初期メンバーです。協働しているNGOの近所に住んでいたため、比較的早めに情報を聞いて、説明会に参加してくれました。彼女はたまにNGO代表の家の手伝いもしていたということで、NGO代表の知人でもありました。

マチャコス県のマシーの中でも少し村の方に入った地域です。この地域で生まれ育ち、結婚して嫁ぎました。旦那さまと子どもたちと一緒に暮らしています。親族で同じ敷地に住むことが多く、キャソリンさんは他の兄夫婦やおじいちゃんが近くに住んでいます。自分の家や畑があります。これは旦那さんが旦那さんのお父さんから継いだ財産です。

家は平屋で、簡易的なものです。リビングと寝室一つずつしかないので、5人家族がどうやって寝ているのか。狭い部屋にみんなでベッドを共有しながら、寝るのがケニアの村では一般的です。男子が成人するときに敷地内に自分の家を持てるというのが習わしです。

電気、水道、ガスはありません。近くの川まで歩いて、毎日水を確保しています。これはまだ恵まれた方だと言います。川を遠い人だと、ロバを持っている人に運んでもらって水を買わなければいけないので、水源がどこにあるかというのは重要な問題なのです。川の水を煮沸して、飲み水としています。

キャソリンさんの家族は、自分の畑で野菜を育てながら、日雇いの仕事をして生計を立てています。日雇いの仕事は、畑仕事かまたは洗濯や掃除の仕事です。1日300円~400円くらいのお給料です。たまねぎが1キロ210円くらいの物価です。野菜と果物が安いケニアとは言え、資本主義社会の中で、1日数百円の収入ではかなり厳しいです。

畑も雨次第です。川から生活水を汲んでくるのがやっとです。雨季が来るのを待って雨が降り出したら、種を植えるというのが習慣です。しかし、雨が少なくて作物が取れない年もあれば、雨が多すぎて作物がダメになることもあります。大きな収入を失うとともに自分たちの食べ物が確保できなくなります。

キャソリンさんの自宅の横でツアー訪問者と撮影

 

話す言語

キャソリンさんはメンバーの中では比較的スワヒリ語を話せるほうなので、私とよくコミュニケーションを取ります。というのは、村のお母さんたちは母国語であるカンバ語で日常会話が成り立っているため、スワヒリ語は話せるものの、一番自信がある言語ではないのです。また、高校を卒業しているキャソリンさんではありますが、英語はほとんど話せません。日本と同じで学校で習っていても日常生活で使わないので忘れてしまうし、話せるようにならないですよね。

子どもは学校に行ってません。

キャソリンさんには、お子さんが3人。長女であるエナさん(16歳)(仮名)は、知的障害があり、学校に行かずに家にずっといる生活です。小学校は近くの公立学校に行っていたら、小学校3-4年生になるころに教室にいることが難しくなり、退学させられました。実際にエナさんのように、公立小学校を途中で退学するという話は知的障害を持つお子さんにはよくあることでした。ケニアでも小学校はもちろん義務教育なので、通う権利はあるのですが、学校の先生が「障害のがあるから」と断ることがあります。自分でごはんを食べ、トイレに行けるとして、授業中に一人でどこかに行ってしまう度に担任が追いかけないといけないとなると、授業が成り立ちませんよね。学校や先生が障害児に厳しい対応をしているとも思えますが、ケニアの小学校ではどこでも先生が足りていないので、対応するのが難しいという状態でもあります。

そういった時にケニアには公立の特別支援学校や特別支援学級がありますが、ちゃんと照会するような仕組みや体制がありません。村の先生は知らないのです。キャソリンさんはエナさんが退学して数年後に特別支援学校の存在を知り、入学するには、”アセスメントセンター”に行く必要があると知ります。村は基本的に情報は口コミです。村長さんに聞いてもわからないし、病院に聞いてもわからない。ケニアは障害児に対する制度や政策がありますが、それが草の根に浸透していません。そして、キャソリンさんのように英語ができない、スワヒリ語が苦手というのも情報にアクセスする壁になります。カンバ語でネット検索できませんからね。

やっとの思いで、アセスメントセンターに行き、特別支援学校を紹介してもらいました。寮に入る学校でした。毎日、障害児だけで通うことが難しいため、ケニアの特別支援学校は、寄宿舎制であることが多いです。しかし、そうなると学費が高くなります。1学期(3か月)18,000円の学費。日本からしたら、泊まりでそんなに安いかと思いますが、ケニアで平均月収は2万円。村のお母さんは月収1万円以下。他の子どもたちの学費もあると思うと、エナさんは学校に送ることができないと判断されました。

お母さんであるキャソリンさんを責めるつもりはありません。しかし、現金収入が少ない家庭において、障害のある子どもの学校というものは後回しになります。

子どもたちの将来

「何もしないのにたくさん食べるからね~」と笑って皮肉を言うキャソリンさん。エナさんは大きくなって1人でお留守番できるようになったものの、働くのは難しいです。日本のように特別支援学校で教育や職業訓練を受けて、A型、B型作業所で働くという選択肢はありません。

日本でもそうですが、親亡き後の将来は?老後動けなくなった時に、エナさんを面倒みるのは?

エナさんはとても恵まれた家族がいます。キャソリンさんがPamojaの作業がある日は、他の義姉に見てもらって仕事に出かけます。エナさんは小さいことから、近所に住む親族と育ったので、愛情を受けて育っています。キャソリンさんが亡くなったあとも親族の誰かが面倒をみてもらえるだろうと思っています。

しかし、そう簡単ではありません。家族の中でも障害のある子どもや人に偏見・差別を持つ人は多いです。村の中で、適切な知識が乏しい地域では特にです。何か間違って暴力をふるってしまうようなことがあれば、犯罪者扱いにされます。

課題が山積み。でもお母さんの愛はある

収入は限られている。

病院は近くにない。

リハビリできない。

障害者への差別や偏見がはびこっている。

特別支援学校が足りていない。質が低い。

挙げればキリがない、障害の子どもと家族の課題。でも、お母さんからの愛を感じます。私はお母さんたちの雇用を通じて、「安定した収入」と「自己効力感」向上を目指して、お母さんを含めた家族が、障害のある子どもに愛情を注げる毎日にしてほしいと思っています。

課題はそう簡単にはなくなりません。私の生きている間に解決できる課題や、リーチできる家族は限られています。しかし、小さな変化でも、起こしたい。1人でも、1家族でも、障害のある子どもが安心して暮らせるように、笑顔を増やしたい。そういった思いで、活動しています。

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日々の活動はこちらで配信しています。どうぞご覧ください。

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