
ケニアでソーシャルビジネスを決意した背景
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今日は、ケニアでソーシャルビジネスを始めることを決意した背景について整理してみます。これは自分の思考をアウトプットし、未来の自分へのメッセージとして残しておきたいと思います。
3年後、5年後の私へ
今の私はこんなことを考えています。
カリユキに会いに行く
私の夢
「アフリカの子どもたちが安心して家族と暮らせる社会を作りたい。」
この夢は、2014~2016年にJICA海外協力隊としてケニアに派遣されたときから芽生えました。
大学生のとき、カンボジアの孤児院を訪問したことをきっかけに、「途上国の子ども」や「孤児院」というテーマに関心を持ち始め、国際協力の道を志しました。そして、ケニアでも孤児院を支援する活動がしたいと思い、児童相談所に派遣され、任地オザヤの孤児院でさまざまな活動を始めました。
孤児院で行った活動の例
- 子どもの権利について学ぶ機会を提供
- 絵画コンテストへの参加サポート
- ベッドや消火器の購入による施設環境の改善
- 子どもが正式に家庭に戻れるよう手続きの支援
しかし、これらの活動はどれも本質的に子どものためになっていなかったと気づきました。単なる自己満足だったのです。
孤児院を取り巻く現実
オザヤの児童相談所は、人口約8,200人に対し職員はたった一人。業務量が多すぎて、孤児院に来た子どもの家庭調査や保護者の追跡まで手が回りません。また、必要な交通費すら十分に支給されない現状がありました。その結果、困難な子どもの案件があると、孤児院に「とりあえず入れておこう」となるのが現実です。
これはオザヤだけでなく、ケニア全体、さらにはアフリカ全体の問題です。エイズ孤児が増え、孤児院が急増する中、施設での子どものケアが当たり前のようになってしまいました。
しかし、施設で育った子どもたちが抱える問題は深刻です。
- プライバシーがない環境で育つ
- 世話をしてくれる大人が不足
- 愛情を受けられず、愛着障害を抱える
- 18歳で施設を出ると行き場がない
- 家族の概念や村での生活を知らない
施設で育った子どもの実例
「4歳で捨てられ、16歳で祖母に出会ったが、話す言語が違いコミュニケーションが取れなかった。祖母からも受け入れてもらえず、社会的なネットワークもなく孤立している。」
アフリカでは本来、家族の絆が強く、孤児院という概念は欧米から持ち込まれたものでした。家族を支援すれば、子どもを捨てる必要はなくなるのです。
ソーシャルビジネスへの転換
大学院で学んだ「De-Institutional Care(施設ケアからの移行)」を基に、家庭をエンパワーすることで子どもたちを家族の中で育てる取り組みを始めました。しかし、これまでのキャリアを振り返り、自分の人生も楽しみつつ、夢に近づける方法を模索し始めました。
そこで出会ったのがルワンダの「KISEKI」。幼稚園の運営費用をボランティアツアーの参加費で賄う仕組みを見て、ビジネスを通して夢を実現する可能性に気づきました。この経験から、単なる援助ではなく、持続可能な仕組みづくりの必要性を痛感しました。
自分の力を発揮する場所へ
ケニアとタンザニアを視察し、自分が本当に力を発揮できる場所はケニアだと再確認しました。JICAの経験や、ボーダレスアカデミーで学んだスキルを活かし、次のステージへ進む準備をしています。
私のこれからの挑戦
- 家族を支援する仕組みをビジネスとして展開
- ケニアを拠点に、社会的インパクトを創出
3年後、5年後の私は、この原点を忘れず、さらに大きな夢を実現していると信じています。