
Pamoja na Africa を作った理由。
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運命の出会い

民間企業に5年勤め、プライベートではソフトテニスで目標を達成し、人生を見つめ直した時、JICA海外協力隊に行くことにしました。大学生の時にやりたかった国際協力の道。
2014年、ケニアに降り立ち、ケニアの田舎の児童相談所に派遣されました。慣れない文化や言語で戸惑いながら、親切な同僚のおかげでケニアの生活を楽しめるようになりました。
ある日、虐待の通報を受けて、同僚と駆けつけると、家の中に閉じ込められている子どもがいました。何か叫んでいます。隣人に話を聞き、母親は数キロ離れた畑に仕事に行っているということで、探して、家に帰ってきてもらい、話を聞きました。
そこで出会ったジョセフくんが私の人生を変えました。
彼は知的障害を持つ男の子6歳。ジョセフくんは、父親、母親、祖母、兄弟と暮らしていましたが、自分で歩行できず、言語での会話が難しい彼は幼稚園にも小学校も通えず、家にずっといる状態でした。
また、障害のあることに対して、家族や近隣の人から差別を受けていました。一緒に住んでいる祖母からも疎まれていました。障害のある子どもは「悪魔の子ども」と言われたり、「母親が浮気したからだ」などの間違った情報が広まっており、障害のある子どもや家族は、社会で孤立していました。
創設者の夢

「アフリカの子どもたちが安心して家族と暮らせる社会を作りたい」
障害のある子どもを含めて、貧困状態にある家庭や親が子育てをすることが難しい場合は、施設で引き取られます。ケニアは海外からの支援を受けてたくさんの児童保護施設があります。しかし、施設が増えれば増えるほど”不用意に”子どもたちが施設に集まっている現状を知りました。2015年にケニア政府では、施設をどんどん縮小して、社会的養護が必要な子どもに対して、施設ケアでは家庭ケアをすべきという方針を出しました。施設に多額のお金を投入するよりも、家庭で子どもが育てるように、支援すべきという考えです。
私はこの方針に賛同し、施設ではなくて、家族と暮らせるケアを実現したいと考えるようになりました。そのために、オランダの大学院に行き、ケニアの脱施設化についても研究をしました。
アフリカの子どもたちの現状
2014年~2016年の2年間、JICA海外協力隊の活動を通して、本当にいろんな家族と出会いました。
両親を亡くしてスラムに住む兄弟。
お腹が空いて窃盗をして更生学校に送られた少年。
性被害に遭ったのに、犯人が警察に賄賂を払って釈放された事件。
知的障害を持った母親に何度も捨てられる女の子。
妊娠を隠して自殺を考えていた女の子。
日本では考えられないような苦境で生活する子どもたち。そして、家族。いろんなストーリーの中で、私はジョセフくんが忘れられませんでした。一見、お母さんは子どもを家に置き去りにした”虐待”をした親ではありますが、障害のある子どもと他の子どもを育てながら、周りから差別を受け、誰からの支援ももらえない状況。私はこのお母さんに何もすることができませんでした。
単純な差別でもない。単純な障害に対しる知識不足でもない。貧困でもない。
経済的にも、社会的にも、精神的にも、追いつめられる母親と、家族から愛情をもらえない子ども。
辛かった。私にこれを解決する力がないことが。
Pamoja na Africa 名前に秘められた想い
その後、大学院進学やNGO、大使館の勤務を経て、”ソーシャルビジネス”というアプローチで障害のある子どもと家族を支援できないかと考えました。ボーダレスジャパンが運営するボーダレスアカデミーに参加し、社会課題解決のためのビジネスを学び、その一歩を踏み出しました。
Pamoja na Africa
これは「アフリカと一緒に」という意味のスワヒリ語です。
Pamoja パモジャ「一緒に」というのは、社会から孤立している子どもと家族の手を取って、前に踏み出すようなイメージを持っています。私は”支援”するのではなくて、彼らのポテンシャルを”引き出せる”人や組織でありたいと思っています。私は一緒に働く人に必ず言います。
「この事業に参加するかどうか、あなたの選択です。やりたいと思った人は参加してください。支援はしません。外国人から学費等の支援がもらえると期待している人がいたら、参加しないでください。私はあなたの仕事に対して、適切なお金を払いたいと思っています。」
こう説明しています。
もちろん、Pamoja na Africaは非営利事業も行っています。日本でも障害のある人たちのへの支援は、公共サービスでまかなわれている部分が多いと思います。日本の特別支援学校にお邪魔した時にびっくりしたのが、6名の生徒に対して、教員が2名もいることです。本当に手厚い教育です。それは、公共サービスだからです。
家族ができる部分は仕事として参加してもらい、対価を提供したいと思っています。しかし、教育や福祉の部分まで、給与で補うことは難しいことはわかっています。私は「働きたい」「もっと収入を得たい」とやる気のある家族の気持ちを沿いつつも、どのような応援ができるのか、常に模索していきたいと思っています。
覚悟を決めて一歩踏み出す
私はこのビジネスまたは非営利活動を生涯かけて取り組みたいと思っています。私はケニアの子どもや家族に関わった責任だと考えています。一度関わったコミュニティの人たちと私の勝手な気持ちだけで介入するのは無責任だと思っています。今後、どのような形態やアプローチになるのか常に模索していくことになりますが、子どもと家族の成長に伴走できるように、貪欲に前に進んでいきたいと思います。